傘さしHike

雨の御在所、傘さしHike
ピチピチチャプチャプランランラン


20090822

予報では22日土曜日の天気は曇り。悩ましいなあ。中途半端が一番困るんだよなあ。
降っていないと大勢が押し寄せて早朝から駐車場がいっぱいになってしまう。降れば降ったで濡れ鼠になり鬱陶しいし。
好天に備え目覚ましを4時40分にセットする。なんでこんなに早起きしにゃならんのだ〜。昔なら前夜発があたりまえでしたが、セダンで車中泊は窮屈です。室内も汚れるし…。
就寝時には雨と伴に雷鳴が。ええぞええぞ、これで人出も減るだろう。

翌朝雨はあがっていた。雲が薄く空は明るい。こりゃ急がなくっちゃ。
車に荷物を放り込み、そこで靴が無い事に気付く。「そうだ、先週の御嶽山でオシャカにしたんだ。」再度家に入り玄関のラテを持ち出し倉庫へ。冬靴を探し出し車に入れ再度出発。忘れ物名人のtanuoさんにしてはよく気付いたものです。一体どうしちゃったんでしょ。

6:35 a.m. 湯ノ山最奥駐車場着。
既に満車に近い。ホント暇人が多いんだから〜。あっ、私もそのひとりでした。
奥の角っこが空いていたので斜めにおけつから突っ込む。その時に立て看板を発見。携帯電話の基地局工事の為、駐車場が使えなくなるって? 看板に描かれた図では殆ど停められないって事じゃないですか。時期は9月上旬。(詳細日程は忘れました。)
こりゃやはり「来るな。」って事ですかねえ。なんでこんな所まで基地局を設置するんですかね。携帯電話なぞ山へ持ってくる人の気が知れませんわ。…未だに持たせて貰えない者の僻みだったりして。お年寄専用の操作の簡単なケータイでもプレゼントしてくれないかな〜、家の子供達。
車内に戻り先ずは朝飯。駐車場所さえ確保できれば急ぐ事はない。なんなら二度寝しても良いくらいだ。
とは言えさすがに二度寝も出来ず仕度を始める。
久しぶりに履く冬靴。よく見るとかなり傷んでいる。夏用に降ろすとあまりもたないかもしれない。冬靴と言っても鈴鹿しか来ていないんだから傷みが早くてあたりまえ。先シーズンも雪が少なかったし。雪のない所を歩いていたんじゃヤスリをかけているようなもの。夏用に降ろすのは止めて夏はズックにしようかな…。
何もかもが私の御在所通いを止めさせようとしているみたいです。

7:00 a.m. でっぱつ。

今のところ雨は降っていない。この気温の低さは曇天の所為だけではない。あきらかに秋が近付いている。早く冬にならないかな〜。時が早く過ぎれば自分も早く年をとる事に気付いていない脳天気なtanuoさんです。

裏道分岐の手前辺りから雨が降り出す。樹林の陰まで行き傘を出す。ついでにザックカバーも。
合羽を着ていなくても大汗をかく。これで合羽なぞ着ようものなら雨で濡れるより先に自分の汗で濡れ鼠になってしまう。
降ったり止んだり中道Hike。やはり汗だく御在所Hike。

尾根に出ると爽やかな風が通る。霧雨爽やか中道Hike。湿り気のある空気が旨い。この喉越しの良さ、まるでビール? ちゃうちゃう、この滑らかな湿った空気、う〜ん、めちゃくちゃモイスチャ〜。

おバカな事を言っていたら急に激しく降ってきた。もうこの先はずっとこんな雨かな〜。
雨の御在所、傘さしHike、ピチピチチャプチャプランランラン。

8:00 a.m. キレット着。
両側の谷へ降りないよう白いロープで通せんぼしてある。
北谷側は去年のゲリラ豪雨で崩れた所なので解かるが、一の谷側は一般路じゃなかったっけ。まあ知らない人が行かないようにするのは管理上必要なのでしょう。ん? 誰が管理してるの?

雨は相変わらず降ったり止んだり。ひとりだとすぐ軟弱君が勢力を拡大する。「山頂まで入ったらもう降りちゃおうか。」今日はストイック君は眠ったまま。「じゃあ裏道の様子でも見がてら降りようかね。」
Net情報では日向小屋跡付近まで工事用の車道が出来ているそうな。どんな様子か一度は確認しておきたい。今日辺りはそれにちょうど良い。という事で降りのルートが決定。

8:40 a.m. 富士見岩展望台着。
当然の事ながら五里霧中。でも数m先のお地蔵様はボンヤリと写ります。

8:45 a.m. 朝陽台着。裏道へ向かう。
今日はここまでで数枚しか撮っていない。こんな天気だから仕方が無いが、これじゃあ季節の便りとなるものがない。北谷テラスのすぐ上に咲いていたコモノギク、あれを撮っておけばよかった。でもなあちょうど雨が降っていてカメラが濡れそうだったんだよなあ。悔やんでみても後の祭り。遊歩道にも何も見かけない。
裏道への降り口でふと考える。
あまり早く降りても温泉はやっていない。暇潰しにノコギリ岩の上までお散歩しましょ。
行ったは良いがやはり五里霧中。辺りを見回すとミズナラのドングリがかなり大きくなっている。赤ちゃんのポコチンのように座布団の皮から顔を出したところをパチリ。これで季節の便りはなんとか確保できたかな。

ポコチンという言葉からふとT哉の赤ちゃん言葉を思い出す。幼児にとって撥音は難しいらしく濁音になり、ボコチ、ボコチ、と言っていた。親の方もそれが面白く一緒になってボコチと言っていた。
こうやって昔の事しか頭に思い浮かばないのは○○症の始まりですかねえ。

季節の便りを撮った後は裏道へ。
北冷水の流れが以前と変わったまま。昨年9月のゲリラ豪雨後に変わったものがそのまま定着してしまったものか。

9:10 a.m. 国見峠着。
裏道復旧工事の為の不通の案内が立てられているが、土日は工事が休みで通れると聞いている。

小雨の中、燃料補給。腰を降ろせないのは年寄りにはつらい。このまま国見のテラスまで行きそこで休憩、降りは国見尾根から、とも思ったが今日は裏道上部の様子も見ておきたい。
という事で裏道を辿る。
濡れた笹で鬱陶しいだろうと思っていたら意外にすっきりしている。以前は水が流れていた掘割がすっかり涸れ、笹が被っていた上の踏み跡を辿らなくて良い。この辺りは旧道のまま。
峠からの沢が北冷水からの本流に合わさる辺りも以前のまま。

但しこのすぐ下で右岸からの崩落が流れ込んでいたんだよなあ。

前壁の前辺りは雨が降る度に土砂が削られそれが裏道を侵食している。ところどころ道が上に移っている。代わりに谷の広いこと。

その下、北谷の滝は形を変えながらもご健在。この辺りの新たな巻き道はかなり高いところに移っている。文字通り【高巻き】。そして谷に近付くころには藤内沢出合は目の前。

9:50 a.m. 藤内沢出合着。

以前の面影は無い。巨石累々だった北谷は大石だらけの広い河原。この辺りの裏道は昔のまま。【藤内出合】の看板もそのまま。
この看板のおかげで【藤内出合】という固有名詞が定着してしまった感がある。言葉は生き物。日本語の乱れを嘆くよりメジャーに使われている言葉に合わせていく事がその時代に生きる者の務めなのかもしれない。という事で私も今後は【藤内出合】と呼ばせて頂きます。時々間違えて【藤内出合】と言っちゃうかもしれませんが。

水場を過ぎ北谷の川原へ降りる。先ほどの水場もそうですが暫く来ない内にかなり様子が変わっています。自然でさえこんなに変わっているのだから、言葉も変わってあたりまえ。言葉も何かの法則に従って変わって行くのかもしれない。

あっ、ピョン耳の写真、傘が入っちゃいましたね。

下まで来たら雨も止むかと思っていたら土砂降りに。風向きは東から。こりゃ暫くこのままですな。

藤内小屋を過ぎ右岸に付けられた昔のままの裏道を行く。変わってしまったところでも昔のままの形の石を見つけるとつい懐かしくなる。30年以上経っても形の変わらないものもある。変わって行くものもあればこうやって全く変わらないものもある。言葉にしても自然の物にしても、何らかの大いなる力によって淘汰されるか生き残るか決まるのだろうか。その大いなる力って、何かの法則なのか。それをある人々は神と呼んでいるのだろうか。
半分寝呆けたまま歩いているtanuoさんは支離滅裂な瞑想の世界を生きているのです。
気が着けば目の前に砕石を埋め立てた立派な道路。日向小屋よりも少し下流辺りから下へ延びている。しまった、日向小屋の撤去跡を見るのを忘れていた。「まっ、いいか。」

暫く降ると対岸に菰野山岳会のログハウス。すぐ下まで土砂崩れが進んでいる。何らかの手立てを講じないと流されてしまいそう。

また暫く行くとワゴン車が一台。リアゲートを開け男女がなにやらゴソゴソやっている。どう見ても工事関係者ではなさそうだ。おまけに室内はキャンプ用に手が加えられている。一般車は入れない筈だけどどうやって入り込んだものか。
しかしどんどん堰堤が上流まで延び、取付道が延長されれば皆さんアプローチが楽になるでしょうね。
上高地も今でこそ完全に一般車が入れなくなってしまいましたが、昔は徳沢近くまで入れたものです。一時期かみさんは毎週のように行っていました。あれは浪人中の事だったかな。中年親爺の【アッシー君】の車で。
当時はまだ【アッシー君】なんて言葉はありませんでしたが時代を先取りしてたようです。中央道もまだ伊北までしか通じておらず使う人はいません。19号線薮原から境峠、奈川渡ダム経由、前夜発で深夜に徳沢手前まで入り、道路脇に停め車中泊して早朝でっぱつ。学生だったかみさんは、いつもガソリン代免除。これも人徳?
そこからなら新村橋も目と鼻の先。当時既に中畠新道は出来ていましたが、いつも通るのは松高ルンゼ。奥又白池で休憩してからよりどりみどりのルートを取り、前穂-奥穂-涸沢-パノラマコースで車まで帰っても一日でなんとか消化できます。余裕があれば途中で1ビバーク入れる、なんて事を繰り返していました。
その頃私は、まさか彼女と所帯を持つとは思ってもいなかったので全くの他人事。「浪人のくせに勉強もしないで。」とは思っていましたが口に出す事はありませんでした。ところが翌年にはしっかり受かってましたが。
そうそう、その頃私の家で少しは勉強もしていました。「教えるとまではいかないけど、数学、物理くらいなら一緒にやろうか。」という事で週に2日残業をやらず帰宅し一緒に問題を解いてましたっけ。合格はこのおかげかな?
工事用取付道のおかげでしょうもない昔話を思い出してしまいました。まあ古き善き時代の頃の事です。今では全国各地マイカー規制ばかり。なんの楽しみも無くなってしもうた。

こんな良い道を歩いていたらあっという間に堰堤に着いてしまった。

ここからは蒼滝橋まで旧工事用道路。ん?ここも道幅が広げられ再舗装までされている。大型ダンプが通るのかな。
雨がそぼ降る中スカイラインを駐車地まで。車が通らないので気兼ねなく歩けます。いや、ちょっと待てこんな舗装路を歩いていたら山靴のソールが磨り減ってしまう。濡れているのがせめてもの救い。これからはいつもズックをザックに忍ばせておこうかな。

10:55 a.m. 車に帰着。
もう温泉も営業している。
今日は早仕舞い。早く帰って早く寝ようっと。


2009年08月22日21時40分00秒 記

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