伊那路放浪記

思い立って伊那路ドライブ。
薫風に薄くなった髪をなびかせ153をひた走る。
山桜や新緑に山肌が彩られ眩しいくらいだ。
風薫る5月、光り輝く季節。
あっ、まだ4月だった。


20080428

かみさんは今日もお仕事。ちっとも遊んでくれん。子供達? んなもん遊んでくれる訳ねーだろ。
じゃあ今日はちょっくらドライブでも。権兵衛トンネルが開通してもう2年が経つ。一度通ってみたいと思いながらもその機会が無く今日に至っている。それなら是非にでもと数週間前から目論んでいたのだ。伊那から周って帰りには薮原食堂かおんたけ食堂にでも寄って来ようと。
出掛けにかみさんが「今日は帰りが早いから外食ね。」と言う。こりゃ私も早く帰らなきゃなるまい。当然権兵衛トンネルの件は内緒である。そんな事話したら却下されるに決まっている。

かみさんを送り出し、いそいそと仕度を始める。
あまりゆっくり出来ないが一応温泉にも入れるようタオルとパンツも用意する。そうそうカメラカメラ。
新聞を取り込んだ時に門の横の【てっせん】(クレマチス)が咲いているのに気付いていた。出掛ける前にこれも写しておこう。
【てっせん】は紫の方が見栄えするが今日は未だ咲いていない。ついでについ他の花も撮ってしまった。


7:30 a.m. お子ちゃまは二人共まだ爆睡中。見つからないようコソコソと出発。
豊田市経由で行く。どうせT社は休みで通勤渋滞は無い筈。
思った通り流れは良い。Auちゃんは軽快に市内を駆け抜けて行く。平戸橋、勘八峡とすこぶる快調。力石からの足助街道も流れている。時刻が早い所為かいつもイライラする所がスムーズ過ぎて気持ちが悪い。
足助手前でちょっと渋滞したが市街地へ右折する橋の手前で直進路が出来ている。足助バイパスが完成していたのだ。快調快調、こりゃええわ。
市街地をパスし一路稲武へ。

山桜や新緑に山肌が彩られ眩しいくらいだ。風薫る5月、光り輝く季節。
遵法闘争車を適当にパスしながら行く。と言っても私は紳士なので当然横着運転なぞしません。謙虚に大人しくかつ軽快に。

9:10 a.m. 平谷の道の駅通過。こんな時刻じゃまだ【ひまわりの湯】はやっていない。飯田の【小川の湯】もまだだろうなあ。それじゃあ温泉パスか。

治部坂を過ぎると飯田まで降り。今までの登りで思ったより燃料計が減っている。降りは転がしてエコランに徹する。
化学合成油のおかげか低回転でもトルクフルで滑らか。Tipで早め早めにシフトアップ。DISの燃費表示はついに14km/Lを超えた。が、実際は1割ほど良い方に出るんだよなあ。

飯田市内で若干の渋滞に引っ掛かったがその後はまた快調。春霞に南アルプスは見えず。駒ヶ根が近付くとまだ真っ白の仙涯嶺の荒々しい姿が望める。
写真に撮りたし場所は無し。どこまで行っても電線だらけ。
そしてとうとう駒ヶ根に入った。コンビニに車を停め写真撮影。ついでにお茶でも買ってこよう。

相変わらず電線が邪魔。無い所を選んで撮影する。南アも仙丈がやっとおぼろげに見える程度。
コンビニ横から脇道に入りウロウロしながらパチパチ

あまり鮮明ではないが島田娘も綺麗に浮き出ている。


さて千畳敷の景色ともおさらば。一路伊那を目指す。伊那からは今日のメインイベント権兵衛トンネル。
伊那市で153号線から361号線に折れる。後はひたすら西へ進む。
木曽駒の白い山並みは北端の将棋頭まで伸び、そこから北へなだらかに落ち込んでゆく。伊那から見るとちょうどその部分だけ高い山が無くそのまた北側に若干高い2000m級の山が独立峰のように聳えている。この鞍部に権兵衛峠があるのだが実際はかなり複雑な地形が入り組んでいる。そこに峠道を切り開いた権兵衛さんの名を取り権兵衛峠と呼ぶようになったのである。
権兵衛について山渓のアルペンガイド29に掲載されていたものを紹介しよう。

力持ちの権兵衛と伊那節
昔、木曽の薮原の奥、神谷というところにたいへん力持ちの木こりが住んでいました。
この木こりは名を権兵衛といって、力持ちと同時にたいへんな大食漢で通っていました。
権兵衛はソバが大好物で、食べ始めたら一度に2升はたいらげて、人々を驚かしていたものです。
そのころ薮原にやはりソバには目のない雲水坊主と呼ばれる坊さんが住んでいました。
二人は出会うたびに好物のソバの自慢話をし合い、いつしか仲のよい友達になっていったのです。
ある時、権兵衛と坊主はソバの食べくらべをしようということになり、それではと、権兵衛が一斗のソバを用意し、薮原一番のそば打ち屋・大和屋でソバを打ってもらいました。
さて二人ともねじりはちまき両肌ぬぎで、いよいよ食べくらべが始まりました。一口に一斗といっても現在のソバ玉なら70〜80玉できるのです。二人はわれこそは木曽一番の大食漢だと自負する豪食の者です。相手に負けてはならじと食べまくりました。
しかしさすがの二人も、それぞれ三升ずつ食べるとついに満腹となり、勝負は引き分けに終わりました。ところが坊主はすぐに苦しみだし、とうとうその場で死んでしまったのです。つまらない思いつきで尊い人の命を奪ってしまったと権兵衛はひどく悲しみなげきました。そして坊主の霊に報いるために多くの人のためになることをしようと思いたったのでした。
そのころの木曽谷は貧しくて、米もとれず、人々はソバを主食にしていました。ちょうど谷ひとつ越した伊那の里では、反対に米がたくさんとれ、あり余るほどでした。しかし、二つの里の間には大きな山があって、どうしても自由に行き来できなかったのです。権兵衛はこれこそ人のために役立つと思い、神谷から伊那までおよそ12kmの山道を切り開きにかかったのです。
それからは、雨の日も風の日も権兵衛は力の限り働きました。石を運び、木を切り倒し、工事は困難を極めました。しかし権兵衛は力持ちです。ついに元禄9年、道の切り開きに成功したのです。それ以来、伊那の米は馬の背に積まれて、木曽へぞくぞくと運ばれるようになり、旅人の足もずいぶんと救われました。また権兵衛をたたえて道中の難所・鍋掛峠はいつしか権兵衛峠と呼ばれるようになったのでした。
また、この権兵衛峠を馬を引きながらのんびりと越えた馬子たちが口ずさんでいた唄がのちの伊那節になったといい伝えられています。
ハアーア
木曽へ木曽へと つけだす米は
伊那や高遠の 伊那や高遠の お蔵米
         ヨサコイアバヨ
ハアーア
天竜下れば しぶきに濡れる
持たせやりたや 持たせやりたや 桧笠
         ヨサコイアバヨ
ハアーア
桑の中から 小唄がもれる
小唄ききたや 小唄ききたや 顔見たや
         ヨサコイアバヨ
ハアーア
東仙丈、西駒ケ岳
間を流るる 間を流るる 天竜川
         ヨサコイアバヨ
ハアーア
わたしゃ伊那の谷、谷間の娘
蚕こわがる 蚕こわがる 子は産まぬ
         ヨサコイアバヨ
ハアーア
ばばさどこへ行く 三升だるさげて
嫁の在所へ 嫁の在所へ 孫抱きに
         ヨサコイアバヨ

坊主とのソバ食いくらべが実際にあった事かどうかは判りませんが、昔から世の為人の為という精神は一介のきこりでさえも持ち合わせていたって素晴らしい事ですね。全ての人がいつもこの心を持っていたいものです。

だらだらと一定勾配を登り続ける。
左手前方には常に将棋頭の白い姿が見えている。高く、大きく、遮る物は何も無い。
牧歌的な雰囲気の中、目の前に一面のソバ畑が広がった。

こりゃ絶好の景色だと写したが、近付いてみるとぺんぺん草。ナズナなんか栽培して一体どうするのだろう。そして畦の黄色い花はスズナのようである。七草粥用に栽培してるのかな?


権兵衛さんが切り開いた山道を遠く頭上に仰ぎながら車はトンネルに吸い込まれて行く。
クネクネ山道と違い真っ直ぐで勾配も緩い。そして昔では考えられない速度である。あっという間にトンネル通過、そして第二第三のトンネルを越えて行く。
ループ橋を降り、再度トンネルを通過すると見覚えのある景色。もう19号線だ。山吹トンネルの手前の信号にでた。
えっ、ここに出てしまったら薮原は通らない。薮原食堂も通らない。いいや、おんたけ食堂の蕎麦にしよっ。
時刻はまだ12時 19号線もガラガラ。スイスイと調子よく流れている。


12:20 おんたけ食堂着。

中に入ると赤ん坊を抱いた若い店員さんが「いらっしゃいませ。」
傍には昔の若奥さん。(…えろう老けたな。)
厨房にいるのは昔の若旦那。(これもジジイだな。)
あっ、もう一人若いのがいる。(息子かな。てことはあの若いお姉さんは息子の嫁ハンか。)
知らない内に世代交代していたのだ。
最後に来たのは…、そう家の子達が中学生の頃か。当時田舎暮らしに憧れて、開田辺りの廃屋を探しに来たのだった。結局夢は夢で終わってしまった。その頃から10年以上過ぎているのだ。世代交代が進んでいて当然の事なのだ。
という事は…、あのヨッパライのオヤジはお亡くなりになったのかな?

テーブルの上には檜板のおしながき。

この前は蕎麦専門店となっていて蕎麦以外には何もなかったが、いまはカツ丼も親子丼も復活している。そうだよな、おんたけ食堂はどうあがいてもおんたけ食堂。高級蕎麦専門店の真似なぞしなくて良い。それでも蕎麦が旨い事だけは皆が知っているのである。昔風のアットホームな少々散らかった雰囲気の方が客も居心地が良い。

昔の若奥さんがお茶を持ってきた。「ざる。」「はあい。」
オヤジの事は聞かずにおいた。10年前で骨折してから家にこもりっきり、酒ばかりかっくらっていたというから、もうきっと往生している事だろう。今ではその息子がそのまた息子を仕込んでいる様子。おまけに孫まで生まれている。次に来る時は、この赤ん坊が厨房の中にいるのかもしれない。
すぐ蕎麦が出された。昔ながらの練りワサビ(粉ワサビ)ときざみ葱の小皿が露の器の上に重ねてある。どちらも安物の漆器で木の地肌が覗いている。もう陶器の器は使わないのだろうか。
ワサビを半分ほど溶かし、葱を入れる。蕎麦は見るからに腰が強そうである。
汁にどっぷりと漬けた蕎麦を口に含む。「旨っ。」名古屋市内の高級蕎麦屋のものより格段に旨い。
が、やはり何かひと味足りない。香りか? 味か? 薬味の刺激か? 違う。何かが違う。やはりあの飲んだくれオヤジの蕎麦とどこか違う。
若い頃の空腹時と、今の食に倦んだ中年親爺の舌の違いなのかもしれない。もしそうならもうあの味は二度とは味わう事ができないという事だ。
とは言え街中の訳の解からない蕎麦よりずっとマシである。これで700円。まあリーズナブルと言って良いお値段である。
権兵衛トンネルも通ったし、おんたけ食堂の蕎麦も食ったし、さて帰るか。かみさんより先に帰ってないとマズイからなあ。

相変わらず車の少ない19号を家を目指してひた走る。


帰宅後燃料補給。なんと12.5km/L近く出てました。やはりオイルは効くわ。


2008年04月28日23時40分00秒 記

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