ちょっと、恵那山

黒井沢から恵那山へ。(ここしか行ったことが無い)
二十数年ぶりのため、全く記憶がございません。
それでも断片的に記憶が甦り、懐かしいやら疑わしいやら。
地形よりも昔懐かしい仲間の顔を思い出す。
みんなどうしているのかなあ。

20050923

ふとしたことで早く目覚める。
「もう一眠り。」と思うが、或る事が気になり夢のなかでもその事を考えている。
「まあいいや、起きちゃお。」
早出でもあり、ちょっと遠出してみよう。と北へ向かう。
田立の滝見物のフルコースでもするかな? でも天然公園からの景色がイマイチかな?(御岳も中央も未だ冠雪していない。)
中津川市が近付くと恵那山のてっぺんに大きな雲。朝陽を受けその輪郭が輝きだす。
「あ〜! 恵那山に行ってみよう。」
19号線バイパスから黒井沢への分岐は解る。黒井沢まで辿り着けるかどうかは別として。
「なんとかなるだろう。」と分岐を右折して中津川沿いに遡る。この辺りは昔とそんなに変わっていない。
暫く行くと黒井沢の看板。見覚えのある細い石橋を右岸に渡り右岸沿いに行く。
凄い凄い。行けども行けども舗装路のまま。「こりゃ、ええわ。」
昔は地道の連続で、場所によっては沢が道路を横断していた。必然的に車で渡渉する事になる。 大雨で道がえぐられ何度車の底をぶつけたことやら。
調子に乗って走っていたらやはり地道が現れました。ナイフのような砕石が刃を上に向け立っている。昔の車と違い、このボロ車でも60タイヤ。バーストに気をつけて急減速。

6:50 a.m. 黒井沢登山口着。昔の面影なんて全くない。昔は林道もここで終わり。地肌剥き出しの広い空き地があっただけだったが、今では林道ももっと延びているし空き地の真ん中に大きな看板がありその周りは草ボウボウ。
そして登山者も多いようで既に車が数台。皆さん仕度の真っ最中。

隣の若い男女5-6名のグループが出かけるのが早そう。その後をついて行こうかな。
黒井沢沿いの林道を辿って行けば良いのは解っているのですが、勝手の解らない所でモタモタするのを見られたくないから…。(体裁を気にするなんて変なおじさん。)

7:05 a.m. おねえさん達に続いて出発。先行グループが遅いので花の写真を撮りながら追い越さないようゆっくり進む。

沢沿いの林道は右岸に付けられていたような気がするが、ずっと左岸沿いである。
雑木が繁茂し道幅も狭くなっている。昔の記憶など全く無い。まるで初めての所のようだ。だから先行者について行こうと思ったのだが、遅い!痺れを切らしパスする。

恵那山は結婚前にかみさんと2人だけで登った唯一の山である。2人きりの山行は後にも先にもその一回だけである。
早出早着が基本なのにそんなこと全く気にも介さず遅出遅着が常習化していた。すっかり日が暮れ雪明りの中、ラテを灯しこの林道を降りて来たんだ。平坦な林道の長かった事ばかりが印象に残っている。
しかし、今日見る限り見覚えは全く無い。
暫く行くと林道が右岸に移った。記憶にあったのはここから先の事なのか。

でも凄く荒れていたり道端の潅木、下草が生い茂っていたり、土砂崩れで道が細っていたり…。やはり昔の面影は全く無し。
昔は看板なんて殆ど無かったし、下草が生い茂った細い踏跡を拾いながら行くのがこの辺の山歩きだった。ところがどうだ、この顕著な登山道。看板もそこ等中いっぱい。これならルートを失うなんて事絶対に無い。おねえさん達に案内させようなんて杞憂だった。

そしてもうひとつ記憶にあるのは、細い谷から左岸尾根に取り付いた事。
それがどこなのか考えながら顕著な登山道を辿って行くと、有りました。小さな水流を渡りそこから左岸尾根に登ります。「へー、結構覚えているものなんだなあ。」
最後に来たのは子供が生まれる前。かみさんがハラボテで身動きが取れない状態だった時。余程しょぼくれて見えたのか、「御在所以外だったらどこか行ってきていいよ。」とかみさんのお許しが出た時の事だ。(仲間内では、御在所=岩登りです。)あの時はK君を誘って来たんだ。あれからもう22年が過ぎている。僕って記憶力が良いのかな。(…自己満足)

まだ日陰なのと秋という季節のせいか下草はたっぷりと露を宿している。ズボンの裾がベタベタ。でも鈴鹿のような鬱陶しさを感じないのはやはり高度のおかげか。この尾根に取り付いたころから、あの香ばしいような木々の香りに気付く。先日御岳田の原で嗅いだ懐かしい香り。この香りは亜高山以上でないと香らないのか。


小さな沢伝いに行くようになるともうすぐ【野熊の池】。その手前に【野熊の池避難小屋】の看板。てっきり池畔にあるのかと思いそちらへ折れる。違ってました。「紛らわしい名前を付けるな!」

8:50 a.m. 野熊の池着。広場に洒落たテーブルと椅子。一本立てるには良い場所です。
昔と変わらず静かな佇まい。水も澄んでいて鈴鹿のドブ池とは雲泥の差です。(貶してばかりですみません。)

青空も覗き始めた。うーん、やっぱり晴れ男!
もう一踏張りに備え燃料補給しておく。

9:00 a.m. 出発。暫く行くと見事な落葉松林。枯葉が道を覆い褐色の絨毯。毛足が2cm程有り足裏に感じるソフトさが堪りません。

尾根上のピークに出るとあとはほぼ平坦な尾根道。もう急な登りも無く緩やかな稜線漫歩。 道端の花を見ながらのんびりぶらぶら。
ガスが晴れると遠望も効くのですが…。


そしていよいよ本峰巻道にかかる。小屋経由ではなくこちらから本峰への直登ルートがあったように思うのですが、どこだったかよく解りませんでした。ここは素直に小屋経由で行く。
この巻道の石畳もよく覚えています。

10:15 a.m. 水場着。これはすっかり忘れていました。看板を見て思い出しました。
手が切れそうなほど冷たい水。2杯3杯すくって飲む。冷たくて旨い。

もう山頂小屋は目と鼻の先。

10:30 a.m. 山頂避難小屋着。
その前に立派な小屋が建っている。別荘みたいだがトイレだとか。まるで王様が使うようなトイレ。なんだか場違いのような気がする。
小屋も建替えられていた。避難小屋ってあまり入った事ないのですが、かみさんと来た時、あまりの寒さに入りました。当時の小屋はもっと大きかったように思います。中が全て土間で寝かせてあった廃材に並んで腰掛けペッタリとくっつき寒さを凌いだように思います。外は凄い地吹雪だったなあ。結局山頂は踏まなかったのかな?(昔話ばかりですみません。)
小屋の裏の岩から山頂方向を望む。ガスが絶え間なく流れなーんも見えん。伊那谷方面もガスで真っ白。



山頂へ向かう。ちらほら紅葉しかけ。
栂の黄葉発見。うそですよ。枯れかけてるだけですよ。


山頂までの間に展望台のような櫓があった筈ですが、今は無くなっていました。
もっとだだっ広い尾根だったと思いますが潅木が増え道も狭くなっていました。二十数年ってやはり永いのですね。

10:45 a.m. 恵那山山頂着。3時間40分。ジジイのペースならこんなもんかな?。


小屋まで戻って中を撮影。土足厳禁の板張りなんですね。避難小屋どころか営業小屋でも通りますね。でも冬はきっとアイゼン履いたまま床の上を歩き回り、小屋の中にテント張る輩が現れるのでしょうね、きっと。無駄にお金のかけ過ぎのような気もしないではないですね。


11:00 a.m. 山頂小屋出発。往路を引き返す。
山頂巻道で黒井沢からきた人達と擦れ違う。まずは最初にパスしたおねえさん達。
「山頂はどうでした?」と声をかけられる。急に恵那山が賑やかになる。若い人達って本当に良いですね。居るだけで明るくなります。今の若い人達の中にも我々と同じ感動を味わっている人達が居るって事だけでなんだか嬉しくなります。この感動をまた次の代に伝えて貰いたいものです。
その後来るわ来るわ続々と。皆さん出るのが遅いようで。登山口到着は僕が一番遅かったのに。
人が増えるに伴って天気も回復しているようだ。「なんだ僕って曇り男だったのか。」みんなのために露払いまでしてあげて…。もうズボン乾いたから良いけど。

2000mピークまで来て振り返ると、ご覧の有様。

山頂は勿論、園原スキー場、富士見台まで見通せる。
そして伊那谷もぼんやりとではあるが見えている。真っ青の空に紅葉しかけの木の葉が綺麗。


落葉松林も陽が射し込み落ち葉の絨毯がよく見える。


12:10 野熊の池着。再度ここで休憩。


尾根道から下も陽が射し朝より花が撮り易い。


後は車を目指してスタコラサッサ。


13:50 車に帰着。

着替えもせずに温泉求めて林道を下る。
パンを齧りながら片手運転。こんな事出来るのは道路が良くなったのと車自体も良くなったおかげ。昔はFRが普通。4駆なんてランクルかジープしかなかった。当然パートタイム。今のようにオンロード、オフロードに関係なく常時4輪にトラクションがかかっているなんて想像すらできなかった。おかげで運転は楽になったが、技術、根性、忍耐力が無くなってきているように思う。
たまにはFRでダート走行にでも出かけるか。


2005年09月23日24時15分00秒

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