光と翳の領域
曠野に道を失い、森の奥深くへと迷い込んだ時に、咄嗟に思い浮かぶ行動を否定し、暫くあらゆる判断を差控えながら、私は何やら悦びをおぼえているのに気が付くことが屡々あった。繁る草を分け、倒木を跨いだり、その下を潜ったりしながら、この地上を極めて慎ましく飾る生命の数数を発見した。そしていつの間にか有頂天になって尾根を越え、川を渡って行くと、自分が道を失っていることさえ忘れてしまうのだった。日が没して闇に囲まれると、夜明けを待ちながら、こんなことをするために、道を棄てたのだと思った。
多分それは事実だったろう。だがまたいつか道を歩いていた。光の殊更に眩しいその道には誰も歩いていなかった。誰のものとも知れない足跡を辿って行くと海辺へ出たり、否応なしに町へと誘われて行った。道に導かれつつ、幾分か怠惰な夢を見ていたらしく、海や町の風景が蜃気楼のように思えた。そんな時、本当は激しい熱病に罹って、窪地の草に中半埋って、夢を見ているのかも知れないと思った。
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私は自分の領域を持ち、そこで小ぢんまりと身辺を整えようとは思わない。人はそれを願い、実現もしているだろうが、この大地のひろがりには誰の領域でもない土地がある。
そこに降りそそぐ日光は、音にはならない、しかも優れた音楽のようである。あらゆる美の懐胎の静けさが漲り、陶酔の持続が可能であり、それが常に約束されている。
そこはまた時には翳の領域ともなる。所詮は限度のある人間の眼にも。極めて微細なものの息づかいが見えはじめ、万物がそれと知らずに所有する知恵が絶えず何かを予感しているのである。穏やかな笑顔のよう躍動の中で、爽快な憩いを必要とするものは、明るい紫色を帯びて眠る。
この、まるで恩寵のように荘厳で、天国的な色彩を見せてくれる光と翳の領域で、私は恐らく自分をより鮮明に見るために書いているのだろう。振り返って棄てるべきもののやや多過ぎたことを幾らか後悔はしながらも、それも自覚という最も困難な発見に役立っていたのかも知れないと思って、今は怯える心を鎮める。
自負と卑下のゆさぶりに、私の機能は低下し、判断はまたしても不確かなものとはなるが、それがまた、改めて、繰り返えし私自身を一層誤りなく観察し、発見し続ける意欲を湧かせる。
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我々の世代で串田孫一さんを知らない人はそういないでしょう。まして山を齧った人なら尚更です。あまり本など読まない連中でさえ、何を書いた人か、どんな人かは人伝えに知っていました。
その串田孫一さんが先日、7月8日早朝亡くなられました。
平易な文章と淡々とした語り口は、当時の若者達に本当の大人というもののお手本を指し示してくれたように思います。そして悩める者達に生きる希望をも示してくれたように思います。
串田孫一さん、あなたから与えられたものは言葉ではいいあらわせないほど重みのあるものです。本当に有難うございました。そして心からご冥福をお祈りします。
串田さんの本は何冊か持っていました。倉庫を探してみましたが、無理をして買った単行本が見当たらず、文庫本が一冊だけ見つかりました。冒頭の随想が表題となっているものです。私の好きな一冊です。昭和48年初刊【光と翳の領域】\240.(価格の安さが年代を感じさせます。)
串田さんに心酔し、その足跡を辿るかのように山中を徘徊していたのが、山にのめり込むきっかけだったように思います。引退後20年の時を経てまた徘徊を再開、日常を離れ【光と翳の領域】に入り込むようになったのも、若い頃に串田さんから与えて頂いた何かがきっかけになっているように思います。
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